英国から見るCPTPP ―新たな日英経済連携:展望と機会―

Written by BCCJ
August 22, 2024

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Written by BCCJ
August 22, 2024

このインタビューは、BCCJでインターンをしている関口・樹(せきぐち・たつき)が行いました。

はじめに

今回取材させて頂いたマシュー・リーさん(Mr. Matthew Li)は、東京に所在する駐日英国大使館において貿易政策部長としてご活躍され、約一年が経過します。英国の欧州連合(EU)離脱に関する重要な貿易交渉を含む、豊富な貿易交渉経験を有するリーさんは、卓越した専門知識を日本での職務に遺憾なく発揮されています。貿易政策を基軸とした経歴を築かれてきたリーさんは、今回の駐日英国大使館赴任を通じて経済外交における貴重な経験を蓄積されている最中だといいます。貿易政策のエキスパートとしてのリーさんがお持ちの独自の視点と専門的識見は、日英の貿易関係および広範な地域経済連携の複雑な様相を紐解くだけでなく、両国間の経済外交の舵取りに不可欠な役割を果たしているのです。

以上のように、リーさんは、英国が最近加盟を果たした貿易協定の「環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的協定(CPTPP)」について論じる上で、特に適格な立場にいらっしゃいます。この画期的な貿易協定が及ぼす、日英貿易関係への影響やアジア太平洋地域全体への波及効果に関するリーさんの見識は、極めて貴重なものであると感じています。幸いにも先日、BCCJインターン同僚のアントニオ(Antonio Guillebeau)と私は、リーさんへの取材の機会を頂きました。本取材を通じて、CPTPPが英国のアジア太平洋地域における通商戦略をいかに形作っているか、また日英両国のビジネスにどのような新たな地平を開くかについて、リーさんの多角的な視点を伺うことができました。

本稿では、取材で伺ったリーさんからのお話に加え、筆者自身の考察と分析も交えながら、英国のCPTPP加盟の意義や展望を探ります。CPTPPが日英貿易関係に与える利益や影響から、加盟が意味する英国の国際経済戦略まで、英国政府の公式な見解に基づく、正確で包括的な理解を提供し、英国に関連するビジネスを考えている日本企業の背中を押す機会になれれば幸いです。

 

CPTPPの概要

CPTPPは、ニュージーランド、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ペルー、シンガポール、ベトナムを含むアジア太平洋地域の11カ国が参加する自由貿易協定(FTA)です。この協定は、関税の大幅な自由化だけでなく、サービス貿易や投資の自由化、知的財産権、金融サービス、電子商取引、国有企業の統治機構など、幅広い分野にわたる規制の枠組みを確立する条項を含んでいるため、「包括的かつ先進的」と呼ばれています。詳細はこちらからご参照下さい。

英国のCPTPP加盟へのこれまでの道のりは、重要な段階を経て進んできました。

・正式交渉開始:2021年6月2日

・交渉妥結:2023年3月31日

・加盟議定書署名:2023年7月16日

・発効予定:2024年後半(英国とCPTPP加盟国の批准手続き完了待ち)

CPTPPは、2016年に署名された環太平洋経済連携協定(TPP)をベースとしており、TPPの条文を参考として取り込んでいます。英国のCPTPPへの参加条件が詳述されている、英国のCPTPP加盟議定書(英文)はこちらからご参照下さい。

 

新しい経済連携へ

CPTPPと既存の貿易枠組み

リーさんは、既存の貿易枠組みを超えるCPTPPの利益について、3つの視座から説明します。

1. 市場アクセスの強化

第1の視座として、CPTPPによって特に日英包括的経済連携協定(日英CEPA)を超えるような恩恵が様々な分野で受けられる点です。具体例として、酪農製品の市場アクセスにおいては、CPTPPは日英CEPAを上回る関税割当枠を設定しており、これにより日英間の乳製品貿易の飛躍的拡大が期待されています。このように、日英二国間のCEPAが既に高度な自由化(関税の99%撤廃)を実現している一方で、CPTPPは特定分野において付加的な便益を創出する可能性を秘めています。加えて、CPTPPは英国にとって、従来はFTAが未締結であったマレーシアおよびブルネイという新興市場への門戸を開放できるというメリットも有しています。

2. サプライチェーンの最適化と柔軟性の向上

CPTPPの2つ目の利点として挙げるのは、加盟国間における「完全累積原産地規制」の制度の適用です。この制度は、製品の原産地認定基準を定め、特恵関税適用の根幹を成す重要な要素です。CPTPPの枠組みでは、日本や英国の製造業者は、加盟国のいずれから部材を調達しても、最終的に生産された製品を「自国産」と認定できる柔軟性を享受できます。具体例として、英国で組立てられた自動車が挙げられます。メキシコ製エンジンやオーストラリア製車輪を使用しても、CPTPPが規定する原産地含有率の閾値(製品別に異なる、自動車の場合は45%)を満たせば、英国産と認定されます。この「累積」による恩恵は、複雑化しているサプライチェーンにも対応することができ、日本企業や英国企業がCPTPP市場内で無関税貿易を享受しつつ、加盟国から多様な部材を調達できるという戦略的な機会も提供してくれます。また、サプライチェーンの構成に応じて、日本の製造業者は英国向けの輸出時にCPTPPと日英CEPAを選択的に活用できます。

しかし、EU中心のサプライチェーンを持つ企業には、EUの部材を自国製と見做すことのできる二国間協定の方が有利となる可能性がある一方、CPTPPではEU部材の比率が高い製品は自国製として認定されない場合もあることに注意が必要です。例として日英CEPAにおいては、英国製品に含まれるEU部材を英国原産品として見做すことを日本側は一方的に認めていますが、CPTPPではEUとの間で貿易協定が存在しないため、以上のような「累積」は不可能であるためです。したがって、EU部材の比重が高い英国自動車メーカーは、対日輸出時に日英CEPAを選好する可能性があります。反対に、EU域外からの部材調達を志向するメーカーにはCPTPPが有利となりうるでしょう。このような最適な貿易枠組みの選定は、現代の複雑なサプライチェーンを有するあらゆる製造業に関連することです。

上述のように、英国のCPTPP加盟は、英国だけでなくCPTPP加盟国の製造業者をはじめとした、サプライチェーンの多様化を促進し、部材調達の選択肢を広げることができます。また、CPTPPに加えて既存の日英CEPAなどの貿易協定の重層化によって、日本や英国の製造業者にサプライチェーンの最適な管理と輸出戦略における柔軟性を付与してくれるのです。

3. 戦略的・地政学的意義(1)

リーさんは、第3の切り口として、英国のCPTPP加盟決定が単なる短期的な経済的利益追求ではなく、より戦略的・地政学的考察に基づくものであることを強調します。「インド太平洋地域が今後の経済成長の中核を担う戦略的重要性を帯びている」と指摘した上で、「CPTPP加盟を通じて、英国はインド太平洋地域の通商規範形成の場に参画し、一般見直しプロセス等を通じて、ルール策定に積極的に関与する機会を獲得できる」と述べます。このような戦略的参画によって、英国は新たな規範が自国企業の利益に合致するよう影響力を行使することが可能となります。将来の通商規範が英国企業にとって有利に働くよう、その形成過程に直接的な影響力を行使できるだけでなく、貿易政策から生じうる意図的でない貿易障壁の発生を未然に防止することもできるのです。このような優位性は、英国の長期的に見た経済外交戦略において極めて重要な意義を持ちます。

さらに、以上のようなCPTPPに対する英国の戦略的アプローチは、欧州自由貿易連合(EFTA)への過去の関与や1970年代の欧州経済共同体(EEC)加盟を巡る議論など、貿易圏に対する英国の歴史的に見られる姿勢との類似性を呈している点にも言及しています。つまり、英国政府は、CPTPP加盟を単なる経済的利益の追求を超えた、多面的な外交戦略の一環として捉えているのです。また、アジア太平洋地域諸国との関係深化の触媒や経済的・政治的紐帯の強化に留まらず、軍事・防衛面での戦略的利益の増進や気候変動等のグローバルな課題に対する国際協調の促進などの要素も含む包括的なアプローチの一翼を担うものと位置付けています。

加えて、CPTPPの構造的特徴として、将来の拡張性と柔軟な見直し・アップグレードの機能を内包していることにも触れています。この特徴により、CPTPPは今後のマルチな経済関係構築における魅力的な枠組みとしての潜在性を有しているといいます。現在、中国、台湾、エクアドル、ウルグアイ、ウクライナ、コスタリカの6カ国がCPTPP加盟を正式に申請しており、さらに韓国、インドネシア、フィリピンも加盟への関心を表明しています。「この幅広い関心は、CPTPPが将来の貿易枠組みにおいて中心的な役割を果たすことのできる可能性を示唆している」とリーさんは期待を寄せます。

 

CPTPPと米国

日本政府は、2017年に脱退した米国のCPTPP復帰を要望として公言しています。一方、英国は現在、最大の貿易相手国である米国とのFTAを欠いている状況にあります。英米間の二国間貿易交渉は、英国のEU離脱後にトランプ政権下で開始されました。リーさんは、英国の貿易交渉団の一員として、ロバート・ライトハイザー前米通商代表率いる、米国交渉団と二国間貿易交渉を重ねた経緯を明かしてくれました。しかしながら、バイデン政権の発足に伴って、新規のFTA締結に消極的な姿勢を示したことから、交渉は停滞を余儀なくされました。

英国としては、二国間のFTAであれCPTPPを通じてであれ、米国との通商関係の深化に関心を寄せています。「仮に米国がCPTPP加盟を申請する場合、必然的に新たな貿易交渉が開始されるだろう」とリーさんは述べます。もちろん、CPTPP加盟国間で合意されている、加入交渉のための判断基準は、他の加入申請国同様に米国にも等しく適用されることになります。しかしながら、リーさんが述べるように、「現下の米国の国内政治情勢を鑑みるに、近い将来における米国のCPTPP加盟実現は、楽観視し難い状況にある」と言わざるを得ません。

 

CPTPP加盟のプロセス

CPTPPはコンセンサスに基づく貿易協定であり、個々の加盟国や主要国の意向ではなく、全体の総意によって運営されます。CPTPP加盟国の通商担当大臣は、加入申請国を判断するための以下の3つの基準について合意しています。

1. 通商義務へのコミットメント

・加入申請国の貿易関連義務履行の実績評価

・世界貿易機関(WTO)義務の遵守状況 など

2. CPTPP基準の充足

・CPTPP協定本文に記載されている諸規定の遵守能力

・関税自由化率の達成可能性(理想的には99%の関税撤廃) など

3. CPTPP加盟国間の同意

・現CPTPP加盟国の加入申請国受け入れに対するコンセンサス

 

以上の基準は、現在の6カ国の加入申請国のみならず、今後の加入申請国にも等しく適用されます。CPTPP加盟国のコンセンサスにより加盟候補国が決定された後、正式な加入交渉プロセスが本格的に始動します。

実際に、英国の加盟プロセスは以下の2段階で構成されていたといいます。

1. コンプライアンス・プロセス

・CPTPP加盟国が英国の規定遵守能力を精査・評価する段階

2. 市場アクセス交渉

・英国が提供する物品、サービス、投資、政府調達の自由化水準を評価する段階

英国の加入交渉においては、CPTPP加盟国が交渉開始に合意してから最終的な加盟手続きの正式署名に至るまで、約2年の期間を要しました。

 

CPTPPの戦略的重要性と日英両国の役割

戦略的・地政学的意義(2)

EU離脱を契機として、英国はCPTPP加盟をはじめとする新規のFTAを模索してきました。このような新たな貿易協定は、共通の貿易相手国とFTAを締結していない他国の企業に対し、FTAを結んでいる英国の企業に競争優位性をもたらす潜在力を有しているのです。「CPTPPが英国経済の中核分野、とりわけサービス産業における貿易・投資の発展に寄与する」と、リーさんは確信を抱いています。CPTPPの規定は、人の移動や貿易の円滑化を促進するものも含まれており、これは英国のサービス経済に多大な恩恵をもたらすと予測されています。

さらに、「WTOにおけるルール形成の進展が停滞している現状に鑑みると、CPTPPは通商規範を策定するための代替的枠組みとしての役割を果たす可能性を秘めている」ともリーさんは指摘します。CPTPPの条項の多くは、世界各地の他のFTAの模範ともなっており、CPTPP加盟国の企業にとっては既に馴染み深い枠組みとなっています。

今回、世界第6位の経済規模を誇る英国のCPTPP加盟により、CPTPP圏の経済規模は25%の拡大が見込まれています。リーさんは「6,800万人の消費者市場を擁する英国は、欧州などアジア太平洋地域以外への貿易・投資の多角化を企図するCPTPP加盟国企業の戦略を決定する上で、極めて魅力的なパートナーであることを期待している」と強調し、今後の日本を含むCPTPP加盟国とのさらなる経済連携への期待を寄せます。

 

英国のCPTPP加盟プロセスにおける日本の中心的な外交役割

日本は、英国のCPTPP加入をプロセスする委員会のリーダーとして中枢的役割を担い、調整を巧みに主導しました。特筆すべきは、日本が「同志国」と位置づける、英国の早期加盟に向けて積極的な外交努力を展開したことです。

この「同志国」という概念は、主に経済枠組みやルールに基づく貿易体制へのコミットメントなどの、共通した志を有する国を指します。特にCPTPP加盟国は、概して市場経済を採用しており、国際的な規範やルールに基づいた、自由かつ公正な貿易に対して一致したコミットメントを示しています。日本は、この通商理念や貿易政策の親和性が、英国のCPTPP加入を促進する好材料になると認識していたのです。

「日本は、CPTPPの根幹を成す、ルールに基づいた貿易体制の重要性に関して英国と見解を共有しているだけでなく、英国をCPTPP圏内で自然に調和できる戦略的なパートナーとしても評価した」とリーさんはいいます。加えて、英国が持つ米国との「特別な関係」がもたらしてくれる可能性のある影響力も、日本が英国の加盟に戦略的価値を見出した一因と考えられうるでしょう。

以上のように、日本の英国加盟支持は、経済的整合性と潜在的な地政学的利益の双方を視野に入れた戦略によって推進されていました。リーさんは「日本は交渉プロセスの円滑化と前向きなコンセンサスの醸成に尽力し、英国の加盟手続きが迅速かつ効果的に進展するように後押ししてくれた」と評価します。

 

国際経済秩序の維持と強化

日本と英国は、先進的な市場経済国として、国際的規範やルールに基づく国際経済秩序の維持に尽力しています。しかしながら、この国際経済秩序は時として大国間の対立によって脅かされ、中堅国の経済的利益を損なう事態を招きかねません。

2018年に米国トランプ政権が国家安全保障を名目に発動した鉄鋼関税は、この問題の顕著な事例です。この経済措置により、中国経済に影響を及ぼしただけでなく、日本や英国のような中堅国は、EUのような大規模経済ブロックが行うことのできる、団結したアプローチを取ることができず、米国との個別交渉を余儀なくされました。

この経験から、日本と英国をはじめとする中堅国は、経済的軋轢が生じた大国との個別的な対応の対象となることや影響を受けることを回避するため、「同志国」の国々との協調の重要性を再認識したのです。この点、リーさんは「大国間の対立や内向きで消極的な経済外交の姿勢によって、国際経済秩序の揺らぎに直面する中で、CPTPPはWTOに代表されるような国際的規範やルールに基づく貿易枠組みの維持とさらなる強化が、自国の経済的利益を守るために不可欠である」と強調しています。

 

非関税障壁と国家主権

CPTPPは「適合性評価手続きの結果の相互承認」を促進する条項を包含している点でも革新的です。この相互承認により、輸出国内において行われた、製品に対する強制法規の技術基準や規格認定への適合性評価の結果が、輸入国において行われたものと同等であるとして、輸出入国政府が相互に認め合い、かつ、受け入れることによって、輸入国での再試験を回避することが可能となります。結果として、試験や認証のための国際輸送に伴う多大なコストの削減が実現するのです。

さらに、CPTPPは透明性と通知要件に関する厳格な基準を設けています。加盟国は新規の技術規制導入に際し、透明性の確保と他の加盟国からの十分な意見募集期間の設定を義務付けられています。この義務により、他の加盟国は新たな規制案を事前に精査し、規則の締結前に懸念を表明する機会を得られ、意図しない非関税障壁の生成を未然に防止できるのです。加えて、CPTPPは加盟国に対し、可能な限り国際規格に準拠した技術規制の策定を奨励しています。これは、貿易における非関税障壁の主要因である製品要件の多様性を縮小するうえで重要な役割を果たしています。

この点、EUとは異なり、CPTPPは貿易圏全体で統一された基準を策定する枠組みを有してはいないため、各加盟国は自国の規制および技術基準を定めることのできる主権を保持しています。その代わりに、「CPTPPは企業が各加盟国の多様な基準に効率的に適合できるような環境整備に注力している」とリーさんは述べます。

CPTPPは加盟国の規制枠組みに対する国家主権を維持するため、基準策定のために深い調和を求めるのではなく、多様性を保持した環境の中で貿易を促進することこそが目的であるといえます。英国は、CPTPPのこの特徴にも魅力を感じた、とリーさんは言及します。

 

CPTPPの今後

CPTPPの改革

CPTPPの枠組みと将来の加盟に関する議論は、インド太平洋地域における特定の目標を超えて、日本を含む加盟国の集団的な利益を推進する有効な手段となっています。CPTPPの一般見直しプロセスは、協定を可能な限り最高水準の貿易協定として維持するために設計された正式な改善メカニズムです。このプロセスを通じて、協定のパフォーマンスを評価・判断します。リーさんによると、以下のような分野において、見直しの機会があるといいます。

デジタル貿易の進化

現代の商取引において、デジタル貿易は商品だけでなくサービス産業までも横断する中心的要素となっています。しかしながら、現行のCPTPP協定は最新のデジタル貿易慣行や人工知能(AI)などの先端技術に関する規定を十分に有していません。「AIの分野で先導的役割を果たしている英国が、デジタル貿易条項を現代の技術的現実に即してアップグレードすることができる」とリーさんは強調します。

環境保護の強化

現代の国際経済では、貿易協定が環境目標達成のために果たすことのできる役割に関しては、顕著な進展が見られます。例えば、英国のニュージーランドとの二国間FTA交渉では、パリ協定の遵守、環境関連の財・サービスの促進、循環型経済の支援など、貿易と環境の調和を図る先進的な条項を含むことが合意されています。リーさんは「英国はこのような最新の環境条項をCPTPPにさらに盛り込む機会を模索している」と期待感を示します。

サプライチェーンの強靭性向上

「サプライチェーンの強靭性は、英国および他のCPTPP加盟国が協定の枠組み内でさらなる検討と強化を望んでいる重要分野だ」とリーさんは述べます。経済安全保障の観点から、国際経済の混乱や地政学的リスクに対する耐性を高めるため、さらなる連携の深化が期待されます。

「英国政府は、CPTPPの一般的見直しプロセスにおける優先事項を策定するにあたり、経済界・産業界からの意見を積極的に取り入れる」とリーさんはいいます。「在日英国商工会議所(BCCJ)の会頭であり政府関係のタスクフォースである、リチャード・ライル氏をはじめとした、経済界・産業界の主要なステークホルダーとの緊密な連携を通じ、政府は英国企業の見解や洞察を体系的に収集している」と説明します。

これらの経済界・産業界からの意見は、CPTPPにおける英国の長期的戦略を決定する上で、極めて重要かつ影響力のある情報源となっています。「英国政府は、官民協働のアプローチにより、国益と企業ニーズの両立を図りつつ、CPTPPへの加入による経済的利益を最大化することを目指している」のです。

 

日本とのパートナーシップ

日本と英国は、既に包括的かつ先進的な二国間協力体制を構築しており、その範囲は経済安全保障、デジタル技術、エネルギー政策など多岐に渡ります。特に、日英CEPAの下での、多様な二国間対話と協力メカニズムの存在が大きいといいます。

多層的協力の顕著な事例として、洋上風力発電分野における連携が挙げられます。「英国は、日英CEPAの構造を活用して、専門知識の共有や日本の洋上風力エネルギー市場の設計支援を行っている」といいます。つまり、現時点で英国はCPTPPを批准してはいないものの、日英CEPAのような協力枠組みを積極的に活用して、日本の洋上風力市場開発を支援しているのです。この支援には、英国企業の技術提供も含まれており、CPTPPの枠組みに依存せずとも、特定の産業・政策分野における緊密な協力関係が構築可能であることを既に実証しています。

「このような日本と英国の多層的な協力関係は、国際強調と貿易関係に対する柔軟かつ包括的なアプローチの模範を示している」とリーさんは強調します。また、「日本と英国はすでに堅固な協力基盤を確立しているが、英国のCPTPP加盟は両国関係をさらに発展させる新たな機会となることは疑いない」でしょう。

 

国際貿易体制の保持

リーさんは「WTOの機能不全が顕在化し、それに伴う貿易摩擦の激化と大国による一方的行動の増加が、国際貿易の分断を加速させているという懸念が高まっている。この趨勢が国際経済の根幹を揺るがす重大な問題の一つである」と懸念を表します。「日本と英国は、WTOを国際貿易秩序の礎石と位置づけており、その機能低下に対して強い危機感を共有している」といいます。特に憂慮されるのは、大国の一方的な行動が日本や英国のような中堅国を「大国間の十字砲火」に巻き込み、経済安全保障上の危機に陥ってしまう可能性です。この認識の下、日英両国は自由貿易の堅持とマルチな規範形成の重要性を訴える協調的アプローチの必要性を強く認識するに至っているのです。

この文脈において、CPTPPのような多国間枠組みは、戦略的に重要な意義を持ちます。なぜなら、日英両国が、CPTPPを通じて自国の立場を調整し、協働して大国への関わりを持つことで、個別の行動よりも効果的にルールに基づく国際貿易秩序の維持を主張できるためです。

さらに、「日英両国が加盟しているG7は、以上のような国際経済協調を推進するための追加的な枠組みとなり得る」とリーさんは述べます。「G7という影響力のある枠組みを日英両国が主体となって活用することで、国際貿易秩序の再構築や維持に向けた議論をより広範な文脈で展開し、主要国間の連携を強化する機会を得ることができる」と期待を表します。

 

EU離脱後の英国の通商戦略

置き換えと現代化

EU離脱後、英国は73件の貿易協定を締結しましたが、その大半は既存のEUとの貿易協定を踏襲した、いわゆる「置き換え協定」(Rollover Agreements)でした。英国が新たに締結した重要なFTAの例として、オーストラリアおよびニュージーランドとの二国間FTAが挙げられます。これらの協定は、英国がCPTPPでは得られない一定の利益をもたらしているといいます。また、英国は現在、インドとの二国間FTA交渉も大詰めを迎えており、さらに湾岸協力会議(GCC)6カ国との交渉も進行中です。リーさんによれば、「このように多層化した貿易協定を通じて、英国はCPTPPのような枠組みでは達成し得ない特定の貿易やサプライチェーン上の利益を享受できる可能性を認識しており、積極的な交渉を今後も続けていく」との方針を語ってくれました。

EU加盟国時代に締結した貿易協定の多くが引き継がれた一方で、「現代化」が必要な分野も存在する、とリーさんはいいます。「現代化交渉」は、既存の枠組みを継承しつつ、より現代的な条項を導入したり、協定締結後の経済・貿易環境の変化に対応したりすることを可能にします。例えば、英国は韓国との二国間FTAの「現代化交渉」を進めているといいます。これは、EUと韓国の当初の貿易協定が2010年に遡るものであり、英国がその条件を「現代化」する意向を持っていたからです。また、英国はトルコ、スイス、イスラエルとも貿易協定の「現代化交渉」を進めているといいます(2024年6月現在)。

 

米国との「特別な関係」

英国は当初、米国とのFTA締結を目指していましたが、バイデン政権下での新規FTA交渉の停滞を受け、より柔軟な通商戦略へと転換しました。現在、英国の米国に対する通商戦略は、連邦レベルと州レベルの二軸で展開されています。

連邦レベルでは、英国首相とバイデン大統領が署名した大西洋宣言を基盤とし、鉄鋼関税(232条関税)やボーイング・エアバス紛争などの貿易摩擦の解消に向けた交渉を進めています。

一方、州レベルでは、協力覚書(MoC)の締結を通じた経済関係の強化を図っています。最近のテキサス州との合意はその一例であり、英国と同程度の経済規模を持つカリフォルニア州など、他の主要州との交渉も進行中です。これらの協力覚書はFTAとしての法的拘束力を持たず、関税撤廃も含みませんが、英国企業の市場参入機会を創出する上で重要な役割を果たしているといいます。「米国の連邦制下では、通常FTAに含まれる政府調達などの分野でも州政府が大きな権限を有しているため、州レベルでの関係構築は極めて重要である」とリーさんは強調します。

以上のように、連邦レベルの交渉と州レベルの協力覚書を並行して推進することで、英国は米国との経済関係を多層的に深化させることを目指しているのです。この二軸のアプローチは、FTA締結が当面見込めない状況下で、英国が米国市場における経済的利益を最大化するために採用した、プラグマティックな通商戦略であるともいえます。

 

終わりに

英国のCPTPP加盟は、EU離脱後の通商戦略における画期的なマイルストーンであり、日英両国の企業に多大な経済的利益をもたらす可能性を秘めています。英国企業にとって、CPTPPが提供する市場アクセスの拡大や柔軟な原産地規則は、サプライチェーンの多様化と成長著しいインド太平洋市場への進出機会を創出するのです。一方、日本企業にとっては、英国の加入によって欧州の重要なパートナーが加わることで、金融、サービス、製造業、先端テクノロジー分野などにおける、投資・協力の新たな展望が開くことが期待できます。さらに、デジタル貿易、知的財産権保護、国有企業規制などに関するCPTPPの先進的な規定は、日英両国の様々な企業に恩恵をもたらすことのできるような、現代化された枠組みを構築することができます。

以上のような直接的な経済的利益だけでなく、CPTPPにおける日英両国の連携は、AIや環境技術などの新興分野における課題への対応や、国際貿易秩序の維持・形成における影響力を一層強化することができます。そして、国際経済を取り巻く情勢が急速に変化する現代で、CPTPPにおける英国の位置づけは、日本との緊密な二国間関係と相まって、日英両国の企業に長期的な経済的利益をもたらすとともに、国際貿易秩序の強靭性と安定性の向上に寄与することが期待できる点で、今後も非常に重要なものだといえます。

結びに、リーさんの貴重なお話に深謝の意を表します。リーさんの豊富な知見と経験に基づく視点は、複雑化する現代国際経済の中での、英国の通商戦略の理解を深める上で極めて有益で、日本の貿易政策にもたらす機会や課題に対する私自身の洞察も深めることができました。また、本稿の内容が、英国のCPTPP加入を決定した背景やそれに寄せる期待に関する理解を促進し、英国とのビジネスを考えている全ての皆様にとって、有用な資料となることができたら幸いです。さらに、今後の日本企業が、英国加盟により拡大したCPTPPのもたらしてくれる機会を最大限に活用できるような環境作りに少しでも貢献できたことを願っています。